公教育の現場等において、「ワーキングメモリを使うこと」が少なくなっているようです。
ここでは、それが良い、悪い、という話をするものではありません。

公教育の現場等では、先生方は、複数のそして様々な子どもたちの価値観や特性に働きかけつつ、
学習指導要領に定められる学習の到達度等に向かって集団を導かなくてはなりません。

そのために、先生方は以下のように工夫を凝らした授業を展開しています。
・指示を細かく出す
・板書を減らす
・電子黒板等を使う
・できるだけ分かりやすくかみ砕く

一方、テストにおいて子どもたちは、できるだけ高得点を目指して、
着実に、減点されないよう答案を仕上げていきます。
テストではミスをしないよう以下のような工夫をします。
・途中式を書く
・筆算を丁寧に仕上げる
・アンダーラインを引く

日常生活においても、Youtube等のメディアでは、字幕が大きく、要約されて表示されるなど
視聴者を飽きさせない工夫がされています。

上記はいずれも、情報の受け手に「わかりやすい」と思わせる工夫です。
しかし一方で、その「わかりやすい」工夫は、裏を返せば受け手が「ワーキングメモリを使っていない」とも言えるのです。

「ワーキングメモリを使うということ」は、上記の「わかりやすさ」から離れることにつながりますので、
一見煩わしさを感じるかもしれませんが、失敗を恐れず、「ワーキングメモリを使うこと」を意識して取り組んでみましょう。

例えば、
・暗算をする
・メモを取らず、依頼された買い物をする
など、「記憶」だけでなく「記憶と処理」に関わることが「ワーキングメモリを使う」ということです。

「わかりやすいこと」と「ワーキングメモリを使うこと」の「バランス」を大切に、
学びの基礎力を高めていきましょう。